2012年11月22日
派遣教師
先日 NHKで
「派遣教師」 なる問題について
取り上げていました。
「派遣教師」 という言葉は
あまり聞きなれません。
講師
非常勤講師 という言葉は
教育界では
馴染みのある言葉ですが・・・
「派遣教師」とは
派遣会社を通して
学校に派遣される
時間講師のことです。
東京など大都市では
私立を中心に相当数いるらしい。
細切れの授業を担当し
継続的な教育には携わらないという点においては
非常勤講師とほぼ同じです。
1コマ~数コマの授業のみ担当し
授業が終わればハイさよなら・・・
生徒との交流はほとんどないとか・・・
教育の世界にまで
「派遣」が浸透しているのは
決して良いことではありません。
私立等
少子化による経営難は
専任教師を充分に置くことは困難で
「派遣教師」に頼ることになります。
特進クラスには
専任教師を当て
普通クラスには
「派遣教師」を当てるそうです。
生徒にとっても教師にとっても
このような関係は望ましくありません。
生徒指導(生活指導)
進路指導
教科(学習)指導
特別活動(HR&クラブ等)
それらを統合し
一貫した指導を継続して行うのが
学校教育です。
予算を理由にした教育切り捨ては
政府の責任だと思います。
ふと思ったのですが・・・
学習塾にもこれとよく似た傾向があります。
塾業界
確かに厳しい状況があります。
専任を多く雇い
きっちり面倒を見れる塾は
そう多くありません。
ボランティアでもない限り
赤字経営はできませんし・・・
子供にも先生にも辛い時代になりました(ーー;)
でもなんとかそれを打開して
少しでも理想の学習塾に近づけるよう
努力をしなければなりません。
生徒と先生の信頼関係を深く築け
なおかつ継続できる
学習塾を作る必要があります。
「派遣教師」 なる問題について
取り上げていました。
「派遣教師」 という言葉は
あまり聞きなれません。
講師
非常勤講師 という言葉は
教育界では
馴染みのある言葉ですが・・・
「派遣教師」とは
派遣会社を通して
学校に派遣される
時間講師のことです。
東京など大都市では
私立を中心に相当数いるらしい。
細切れの授業を担当し
継続的な教育には携わらないという点においては
非常勤講師とほぼ同じです。
1コマ~数コマの授業のみ担当し
授業が終わればハイさよなら・・・
生徒との交流はほとんどないとか・・・
教育の世界にまで
「派遣」が浸透しているのは
決して良いことではありません。
私立等
少子化による経営難は
専任教師を充分に置くことは困難で
「派遣教師」に頼ることになります。
特進クラスには
専任教師を当て
普通クラスには
「派遣教師」を当てるそうです。
生徒にとっても教師にとっても
このような関係は望ましくありません。
生徒指導(生活指導)
進路指導
教科(学習)指導
特別活動(HR&クラブ等)
それらを統合し
一貫した指導を継続して行うのが
学校教育です。
予算を理由にした教育切り捨ては
政府の責任だと思います。
ふと思ったのですが・・・
学習塾にもこれとよく似た傾向があります。
塾業界
確かに厳しい状況があります。
専任を多く雇い
きっちり面倒を見れる塾は
そう多くありません。
ボランティアでもない限り
赤字経営はできませんし・・・
子供にも先生にも辛い時代になりました(ーー;)
でもなんとかそれを打開して
少しでも理想の学習塾に近づけるよう
努力をしなければなりません。
生徒と先生の信頼関係を深く築け
なおかつ継続できる
学習塾を作る必要があります。
2012年08月11日
「目的」と「手段」
「僕たちは子どもたちに点数を取ってもらって
志望校に合格してもらうことを業としている
わけですが・・・
それらはあくまでも
生きていくための『一手段』であって
生きている『目的』ではないということを
同時に子どもたちに伝えていきたいと
思っています。」
(PEG 代表取締役 永濱茂夫塾経営日記 より)
我々大人は
とにもかくにも
子供には「勉強しなさい!」 と
口うるさく言ってしましがちです。
子供は親に対して
「ほめられたい」
「叱られたくない」 という思いが
先にたってしまい
「勉強」そのものの意味を理解せず
なぜやるのかわからないまま
まるで「修行」のように学習を続けます。
ほとんどの子供たちが
「勉強」を「修行(苦行)」のように
感じていると思います。
ここんところを
少し観点を変えていけば
子供たちの
勉強に取り組む姿勢や
感じ方も変ってくると思います。
今一生懸命がんばっているのは
その先にある
とても大切な「目的」のためであって
今やっていることが
決して「目的」ではないことを
教えてあげるのが
保護者であり先生の役目であると思います。
「目的」と「手段」をはき違えることなく
正しく認識させてあげることによって
子供たちは「勉強」そのものに意義を見出し
自立した学習ができると考えます。
でも実際
口で言うのは簡単ですが
これがけっこう難しい課題なんです。
私の開校する塾では
このこと(真の「目的」と「手段」)を
保護者と生徒に
徹底してコーチングしていきたいと思っています。
2012年07月29日
じゃあ諦めれば
私が愛読している
コーチングに関するメルマガから。
夢はあるけど
それを今から実現するには
苦手だとか面倒だとか
という理由で諦める
ひとりの大学生の話が掲載されていました。
その学生に対して
筆者は
「じゃあ諦めれば」
と言ったそうです。
その後に
「・・・こんなふうにして
人は夢を諦めていくのだろうか。
苦手とか 面倒とか
そんなつまんない理由で。
苦手や面倒でないことが
人生 どれくらいあるのだろうか。
苦手で 面倒なことが 続いていくのが
人生ってもんじゃないのか。」 (「 」内引用)
苦手だから
面倒だから
そんな程度の理由で諦められる夢なら
夢なんて持たない方がいいですね。
夢を語るぐらいなら
もっと気合入れろよ!
って話です。
夢を持っていると言いながら
何もしないのは卑怯です。
子供たちの中にも
こういったレベルの夢しか持たない
というか
夢を勘違いしている子が
どれほど多いことか。
夢を持つということは
苦手なことも克服し
面倒なこともしなければならないということを
しっかりと教えていかなければなりません。
それが私たち大人の
責任であり
務めであります。
安易に夢を持たせるだけでは
かえって挫折感を味あわせるだけです。
2012年06月28日
輝くために必要なこと
人間一番輝いているとき
自信に満ちています。
これは大人でも子供でも同じ。
学習が進み理解が深まってくると
子供たちの顔つきも変わってきます。
きらきらと輝いてきます。
自信に満ち溢れています。
私は
そんな子供たちを見たいため
学習塾を開校しようとしているのかもしれません。
バドミントンで
女子ダブルスペア 「オグシオ」 として
一躍有名になった
潮田玲子さん
彼女は今
混合ダブルスの世界で頑張っています。
その彼女が考える
輝くために必要なこと3つ
・(目標達成のための)意欲
・努力
・自信
スポーツ(アスリート)の世界はとても過酷です。
そんな中で自分を輝かせるために
上に挙げた3つが必要だとか。
トップを極めようという立場の人が
発する言葉は
重みがあります。
とても参考になります。
3つの必要なことは
学習(勉強)にも通じます。
子供たちが
意欲 を持って
努力 し
自信 に満ちて
学習に取り組む姿は
とてもすばらしいことです。
未来の私の教室では
輝いている子供たち が見えます。
2012年06月16日
自由な学び
私は
学校という場では
自由な学びは成立しぬくい
と考えます。
それはなぜか。
なぜなら
学校の社会的機能としての役割が
自由な学び には不向きだからです。
学校というところは
子供たちを社会化する使命を担っています。
子供たちは学校という社会を通して
一般社会に適応する能力を養います。
具体的には
高校受験や大学受験
あるいは就職試験を経て
社会で生き抜く力(社会化)を身につけていきます。
子供の社会化を実現するため
学校では
管理
選抜
振り分け
が行われます。
体育など身体訓練により形式的行動を身につけます。
学びには強制力が伴います。
管理社会に適応させるためには
ある程度の 形式 や 強制 を受け入れる人間を
作らなければならないからです。
社会化を促す過程として 選抜 が行われます。
つまり
試験(テスト) によって子供たちを 振り分け るのです。
こうして子供たちは
社会に送り出されます。
(私たちもそうでした)
これは
学校という機関の社会的機能なので
宿命的なものです。
だから当然のこととして
自由な学びは成立しぬくい のです。
学習塾も
その補助的な役割を担っているだけかもしれません。
ただ
保護者のみなさんが
学校に求めることと
学習塾に求めることは
当然違います。
その違いを認識した上で
小さな学習塾でもできることを探ります。
いやむしろ
小さな学習塾だからこそできる
大手(学習塾)にはできないことを
考えていきます。
学習塾は
学校ほど社会化を促す責任はないわけですから
そのあたりから
何か貢献できないか
学校では無理だが塾なら可能なことはないか。
考えてみる価値はあるかもしれません。
2012年06月12日
大学改革
大学改革へ新プラン
知識偏重から思考力・判断力等多面的評価へ入試転換
文科省は
2012~17年度の6年間を期間とする
「大学改革実行プラン」を発表したとか。
それによると
従来のペーパーテスト偏重型から
意欲や能力、適性などを総合的に判断する
多面的評価型の入試を促進する方向で
議論を深めるらしい。
私も
これだけ世の中が多様化してくれば
この流れは必然的にやってくるだろうと
思っていました。
秋入学への流れも含め
大学のあり方が
この5年10年で大きく変わるかもしれません。
当然
高校や中学校
さらには小学校まで
その影響が波及してくることは
想像に難くありません。
与えられたことを
ただ素直にコツコツと
まじめにやれば
普通に大学まで行けた
今までの優等生型では
これからの入試を突破するのが
難しくなるかもしれません。
これからは
自分の意見を持ち
自分の考えを述べ
しっかり判断できる人間 が
求められるようになるということです。
言われたことに何の疑問も持たず
知識ばかりを詰め込む
いわゆる「ガリ勉」(古い言い方ですが)タイプでは
ダメだということです。
だからといって
知識をつけることを
おろそかにしてはいけません。
要は知識だけでなく
感性を磨いたり
いろんな体験をして
人間としての幅をつけることです。
学校だけでなく
学習塾も
大学入試動向を
注意深く見守る必要がありそうです。
2012年05月19日
共育コミュニティ
今
学校現場では
「学校」「家庭」「地域」が協調し合い子供を育てる
共育コミュニティ が模索されています。
それぞれが得意とする領域をうまく使うことによって
効果を最大限に発揮し
社会全体で子供たちを教育していく取り組みです。
「教育」を
「学校」だけにまかせっきりにせず
「家庭」や「地域」が主体的に関わっていくことによって
市民性を備えた子供を育成するのが目的です。
私はこの中に「学習塾」も入るべきだと思っています。
というか私が作る学習塾は
共育コミュニティにおける「地域」領域の
役割の一端を担うようなものにしたいと考えています。
まだ深くは考えていませんが
例えば
不登校生のサポートや
就活生へのアドバイス
学童保育的なもの等々・・・
もちろん
塾生の学力向上がメインですが
何か社会貢献できるような
(塾生を含めた)地域の子供たちに市民性を育めるような
そんな手伝いができたらいいなと考えています(^^)
岩出には
どんどん新しい学習塾ができています。
一つぐらい
そんなお人好しな学習塾があってもいいかな
と思っています。
子供も親も地域も幸せになれれば
岩出はきっと良い町になるでしょう。
学校現場では
「学校」「家庭」「地域」が協調し合い子供を育てる
共育コミュニティ が模索されています。
それぞれが得意とする領域をうまく使うことによって
効果を最大限に発揮し
社会全体で子供たちを教育していく取り組みです。
「教育」を
「学校」だけにまかせっきりにせず
「家庭」や「地域」が主体的に関わっていくことによって
市民性を備えた子供を育成するのが目的です。
私はこの中に「学習塾」も入るべきだと思っています。
というか私が作る学習塾は
共育コミュニティにおける「地域」領域の
役割の一端を担うようなものにしたいと考えています。
まだ深くは考えていませんが
例えば
不登校生のサポートや
就活生へのアドバイス
学童保育的なもの等々・・・
もちろん
塾生の学力向上がメインですが
何か社会貢献できるような
(塾生を含めた)地域の子供たちに市民性を育めるような
そんな手伝いができたらいいなと考えています(^^)
岩出には
どんどん新しい学習塾ができています。
一つぐらい
そんなお人好しな学習塾があってもいいかな
と思っています。
子供も親も地域も幸せになれれば
岩出はきっと良い町になるでしょう。
2012年04月17日
高校白書
先日の日経新聞に
「高校における授業理解」に関する記事がありました。
2011年度都立高校白書によると
高校生が「授業の内容を十分に理解している」と思う
と答えた割合がわずか 9.3% にとどまり
さらに
大学関係者らの質問で
大学の
「新入生が高校卒業時に習得すべき学力があるかどうか」
と聞いたところ
「備わっている」と回答した人は 4.4% だそうです。
「多少そう思う」「多少備わっている」というのを加えると
30~40%にはなるものの
少なくとも過半数以上の高校生は
十分な学力を備えていないことになります。
この調査を見る限り
現在の高校教育における
「学力の定着に課題があること」(日経新聞)
が浮き彫りになっています。
ただこの問題は
今に始まったことではありません。
5年前も
10年前も
20年前も
同じようなことが言われていました。
校内暴力が吹き荒れた
1970年代終盤から1980年代序盤
学級崩壊という文字が
メディアを賑わせた1990年代
学力や教育に関する問題はいつの時代でもありました。
学力低下の問題は常に存在しました。
戦後教育制度における
限界のようなものを感じます。
実際
低学力の生徒ほど
少人数で丁寧な指導を必要とします。
一度理解の遅れた子供は
画一的な公教育の指導体制では
追いつくことは至難の業です。
よりキメの細かい指導をしていくためには
マンツーマンに近い教員体制も必要です。
色んな雑務に忙殺されている
現在の教育現場では不可能です。
思い切った制度改革にはお金もかかります。
それを
今の日本の政治に期待するのは難しいでしょう。
(それでなくても教育予算がどんどん削られる現状)
結局
我が子の学力は親が責任を持ってつけてやる 以外
今のところ方法がないのが実情でしょう。
学習塾は
微力ながらその手助けをしていくしかありません。
現在の学校教育が抱えている課題を
少しでも解決できるなら
私は喜んでその手助けに参加したいと思います。
「授業の内容を十分に理解」できる子供たちが
一人でも多くなるよう
確かな学力をつけた子供たちが
学校で生き生きと授業に取り組めるよう
そのための
様々なサポートをしていける学習塾を作りたいと思います。
2012年03月12日
ノートのとり方
先日
所さんの目がテン
という番組で
東大に合格する学生のノートの取り方
が取り上げられていました。
東大生 と 他の大学生(偏差値40~60) の
ノートのとり方に
大きな違いがあることが分かりました。
もう少し正確に言うと
東大に合格できるぐらいの子は
ノートのとり方が一味違う
といことを言いたかったのだと思いますが・・・
その違いはすごく簡単なことでした。
一般の大学にいくような子のノートの取り方
→先生が黒板に書いたことだけを丁寧にノートに書き写す。
(ペンが動くのは先生が黒板に書いているときだけ)
東大にも入ろうかという子のノートのとり方
→先生が言ったことのポイントとなることはすべて書き留める。
(常にペンが動いている。聴きながら常に書いている。)
さて皆様のお子様はどっちでしょう(^^;)
2012年03月03日
「国語力」 その3
前回は
日本語(国語)の元になる
文字(漢字)の起源について
ごく簡単に書きました。
国語力をつけるにおいて
漢字の学習は基本中の基本です。
そして漢字の学習によって
右脳と左脳を発達させることができます。
右脳 は五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)
という 知覚・感性 を司ります。
映像や図解等マルチメディアがその範囲です。
対して 左脳 は
二感(視覚・聴覚)により言葉や文字を理解します。
思考や論理 を司ります。
一見
漢字学習は右脳を使うように思いますが
実は左脳も使っています。
漢字は形(知覚・感性)で覚えるのと同時に
その成り立ちや組み合わせ(思考・論理)を理解して
覚えるからです。
漢字を絵として
単純に感性で覚えるのが得意だったり
意味を考えてその組み合わせで
論理的に覚えるのが得意だったり
人それぞれ覚え方に違いはありますが
左右脳の発達には非常によい教材です。
どの学年においても
徹底的な漢字学習による脳の発達(活性化)は
他のすべての学習に必ずよい影響をもたらすと考えます。
それゆえ
私が将来開設しようとする学習塾では
「漢字学習」 を特に重視したいと思います。
※右脳左脳の記事に関しては
特にその専門家でもない私が
断定する内容ではありませんので
あくまでも参考までにということで
ご理解ください。
2012年02月26日
「国語力」 その2
前回
「国語力」を身に付けることこそ
真の学力に近づくこと
と書きました。
そして
そのための重要なツールとなるのが
「漢字の学習」です。
遠い昔の話ですが
もともと日本には「文字」がありませんでした。
日本の社会が発達するにつれて
「中国」から「漢字」が伝わり
その「音」を利用した文字が生まれました。
「音」としての漢字は
日本最古の勅撰和歌集「万葉集」に使われ
「万葉仮名」として普及していきます。
それ以降
漢字は日本語を表す「文字」として定着します。
やがて
漢字から片仮名と平仮名が生まれます。
漢字を記号化した片仮名は主に僧侶の世界 で
漢字をくずした平仮名は貴族階級の女性の世界 で
それぞれその地位を築いていきます。
平安時代には
漢字・片仮名・平仮名が広く認知され
現在の日本語 として確立していきます。
私たちの文化や生活に
深い関わりを持ってきた「漢字」は
このようにとても長い時間を経て
今も昔も
日本語の「国語力」のツールとして使われています。
続く
2012年02月17日
「国語力」 その1
ちょっとご無沙汰いたしました(^^;)
学習を考える上において
私が最も重視すべき点は「国語力」です。
国語という教科の中には
他教科の基礎となる総合的な内容が多く含まれます。
国語を学ぶことによって
ロジック・歴史や文化・芸術・科学・外国(世界)・・・等々
様々な分野の知識に触れることができます。
ところで
人間の脳には右脳と左脳があります。
右脳の働きは
・映像としてイメージをとらえる。
・そのイメージをふくらませてさらに発展させていく。
左脳の働きは
・記号として頭の中にどんどんインプットしていく。
・論理的に理解してさらに次の記憶につなげていく。
「国語力」をつけることによって
右脳と左脳双方の発達が促されます。
(どういうことか後日説明します)
その結果
他教科にも相乗的な効果をもたらすことができるのです。
つまり
「国語力」を身につけることこそ
真の学力に近づくということだと考えます。
そして
その「国語力」の重要なツールとなるのが
「漢字の学習」です。
続く
2012年02月02日
ダンス必修化
小中高の体育授業に ダンス を導入しました。
小学校においては
2011年度からすでに実施されています。
2012年度から中学校
2013年度からは高等学校
と新学習指導要領の段階的実施にともない
必修化されます。
先日TVを見ていると
小さな子どもたちが
元気に ヒップホップダンス を踊っている様子が
放映されていました。
東京では
学校教育ダンス必修化の影響で
幼少年対象 ダンススクール が
空前のブームになりつつあるとか・・・
ダンスに適したシューズも売り出されるようで
経済効果もありそうです(^^;)
将来は
バックダンサーを目指す子供たちも増えているようで
わが子の未来に賭ける
母親たちの熱い視線を受けています。
学習塾にしても
ダンススクールにしても
子供たちが
自分の夢を実現する ために頑張ることは
悪いことではありません。
それを応援し
期待するのも
親として自然な姿です。
ただし
あくまでも
主体は「子供」 という部分を忘れてはいけません。
保護者は応援団にすぎません。
ここを履き違えると
子供も親も
辛い人生になってしまいます。
世の中には
そんな親子 がどれほど多いことでしょう。
2012年01月30日
2学期制 or 3学期制?
2005年前後頃から
(公立)学校教育は
3学期制から2学期制に移行しました。
年度を
4月~9月(前期)
10月~3月(後期)
に分け
夏休みや冬休みは学期途中になりました。
「授業時間を増やし
学習のまとまりを長くして
落ち着いて学習させる」 のが狙いです。
しかし実際は
年間の区切りが中途半端で
その間に大きな休み(夏休み・冬休み)が入り
日本の学校教育にはあまりなじまないようです。
その結果
ここ数年
保護者や教員から3学期制復活を望む声が多くあり
再び3学期制に戻す学校が増えています。
3学期制では
進路等の関係(中3や高3)で
3学期が極端に短くなってしまう学年もあり
問題は残ります。
ただ
四季がはっきりしている
日本の教育風土を考えると
3学期制は
気持ちの区切りという面で
しっくりくるようにも思えます。
学習効果にあまり大きな差が出ないのなら
私は3学期制でいいと思います。
(ただし今後秋入学が導入されると少し事情が変わります)
2学期制 or 3学期制?
あなたならどちらですか?
(公立)学校教育は
3学期制から2学期制に移行しました。
年度を
4月~9月(前期)
10月~3月(後期)
に分け
夏休みや冬休みは学期途中になりました。
「授業時間を増やし
学習のまとまりを長くして
落ち着いて学習させる」 のが狙いです。
しかし実際は
年間の区切りが中途半端で
その間に大きな休み(夏休み・冬休み)が入り
日本の学校教育にはあまりなじまないようです。
その結果
ここ数年
保護者や教員から3学期制復活を望む声が多くあり
再び3学期制に戻す学校が増えています。
3学期制では
進路等の関係(中3や高3)で
3学期が極端に短くなってしまう学年もあり
問題は残ります。
ただ
四季がはっきりしている
日本の教育風土を考えると
3学期制は
気持ちの区切りという面で
しっくりくるようにも思えます。
学習効果にあまり大きな差が出ないのなら
私は3学期制でいいと思います。
(ただし今後秋入学が導入されると少し事情が変わります)
2学期制 or 3学期制?
あなたならどちらですか?
2012年01月28日
勉強ができなくてもいい
教育現場(小中高)では
学習が進まず
学力が低迷している子供たちがたくさんいます。
その現象は
不登校や非行
といった形で現れる場合も少なくありません。
学校では自分の居場所がなくなり
結果
家にこもったり
同じような子供たちと「群れて」遊びまわったり
ますます学習から遠ざかっていきます。
はたから見れば
「気楽でけっこうやな」
と思われる場合もあります。
でも彼ら(彼女ら)も
決して現状に満足しているわけではありません。
勉強ができなくてもいい
と本気で思っている子供などいません。
心の中では
苦しみもがいている子供たちです。
でもそこに救いがあるのです。
可能性があるのです。
一人ひとりになればすごく悩んでいるのです。
だから 救える と私は考えます。
きっかけさえあれば必ず立ち直れます。
丁寧なサポートさえできれば必ず学力が向上します。
そのような子供たちを私は見捨てたくありません。
子供というのはとても可能性を秘めた存在だから。
どんな子供でも
勉強がわかる(できる)ことの楽しさや
達成感を知ったなら
その瞳はきっと輝くでしょう。
私が目指すのは
そんな子供たちも通える
「居てほっとするような」学習の場です。
学習塾なら
成績のよい子を集めて
どんどん成果を出す方が
経営は安定するでしょう。
でもちょっと違うかなぁ・・・
というのが私流です(^^;)
2012年01月27日
魔法の道具
今や
高校生が携帯を持つのは当たり前の時代。
中学生もしかり・・・
さすがに小学生は少ないようですが・・・
・・・で
高校生は
すでに 携帯からスマートホン に移行しつつあります。
おそらく1,2年後
中高生世代には
スマートホンが席巻していると思われます。
教科書電子化が予定されている2015年ごろには
携帯はもう時代遅れ
という雰囲気になっているかも知れません。
確かに便利な世の中です。
中学生も高校生も
当たり前のように携帯やスマートホンを持っている。
でもどうなんでしょう・・・・
以前
京都大学の入試に携帯を持ち込んで
インターネットの質問掲示板に
リアルタイムで投稿した学生が捕まりました。
善と悪
メリットとデメリット
どちらの方にもころぶ 魔法の道具

要は使い方次第ですが
中高生の学習の場 には必要を感じません。
2012年01月20日
東大秋入学!?
先日の日本経済新聞によると
東京大学は
学部入学を春から秋に移行する
中間報告をまとめたらしいです。
つまり
大学の入学式が
秋(9月か10月)に行われるということ。
東大秋入学!?
理由は
①国際化の推進(秋入学は国際水準)
②入学前の学生に多様な経験を積ませる
日本の大学のトップといわれる東大が
秋入学に全面移行すれば
それに追随する大学が当然出てきます。
現に
九州大学は積極的に検討
京都大学・大阪大学は慎重に検討
の段階に入るようです。
「高校卒業から入学までの半年間(ギャップターム)に、
多様な体験活動を積む『寄り道』を設けることで、
大学で学ぶ目的意識を明確化できる」(日経新聞)
とした考え方は納得できる部分もあります。
ただ
「就職活動や高校卒業との接続の問題など
社会全体への影響」(日経新聞)はかなり大きいので
その辺をどう処理していくかが
これからの課題となってくるでしょう。
東大秋入学は数年先になりそうです。
(入学試験は従来通り春に行うそうです)
いずれにしても
大学学部の秋入学移行は
時代の流れです。
いずれ高校・中学にもその影響が及んでくるでしょう。
今現在
小学生およびそれ以下の
お子様をお持ちの保護者様は
確実にその影響を受けます。
当然私たち学習塾経営者も
その対応を考える必要が出てきます。
やはり 2015年~2020年 あたりは
教育環境も大きく変化する年になりそうです。
東京大学は
学部入学を春から秋に移行する
中間報告をまとめたらしいです。
つまり
大学の入学式が
秋(9月か10月)に行われるということ。
東大秋入学!?
理由は
①国際化の推進(秋入学は国際水準)
②入学前の学生に多様な経験を積ませる
日本の大学のトップといわれる東大が
秋入学に全面移行すれば
それに追随する大学が当然出てきます。
現に
九州大学は積極的に検討
京都大学・大阪大学は慎重に検討
の段階に入るようです。
「高校卒業から入学までの半年間(ギャップターム)に、
多様な体験活動を積む『寄り道』を設けることで、
大学で学ぶ目的意識を明確化できる」(日経新聞)
とした考え方は納得できる部分もあります。
ただ
「就職活動や高校卒業との接続の問題など
社会全体への影響」(日経新聞)はかなり大きいので
その辺をどう処理していくかが
これからの課題となってくるでしょう。
東大秋入学は数年先になりそうです。
(入学試験は従来通り春に行うそうです)
いずれにしても
大学学部の秋入学移行は
時代の流れです。
いずれ高校・中学にもその影響が及んでくるでしょう。
今現在
小学生およびそれ以下の
お子様をお持ちの保護者様は
確実にその影響を受けます。
当然私たち学習塾経営者も
その対応を考える必要が出てきます。
やはり 2015年~2020年 あたりは
教育環境も大きく変化する年になりそうです。
2012年01月17日
もう一つの考え方 その2
もう一つの考え方として
「選択肢を広げる」というものです。
昨今
もはや学歴社会が崩壊したも同然
と見る向きもありますが
単に「学歴」にこだわるということではなく
難関大学に入ることは
それによって得られる様々なメリットが考えられます。
恵まれた教育環境や設備
色んな才能を持った人々
伝統的に自由な学風
「学歴」を獲得するだけでなく
居心地の良い充実した時間を
4年間過ごせることは
とても大きなメリットになります。
卒業時の社会的信用も高く
将来における進路選択にも幅ができます。
他の者が楽しく遊んでいる間も
時間を惜しんでこつこつ努力し
勉強を頑張り通し
難関大学への合格を勝ち取った人は
そのぐらいの優位性が与えられても
私は良いと思います。
自由で刺激のある大学で
有意義な時間を過ごし
人生の選択肢を広げる
という方法も
あながち悪くはないという考え方です。
学歴なんかに頼らず生きていく
大学(学歴)なんかにこだわらない
という生き方(考え方)もあります。
私はどちらもありだと思います。
それはその人が決めればよいことです。
2012年01月09日
もう一つの考え方 その1
以前 当ブログで
これからは
高学歴だけを目指す生き方では
人生を生き抜けない
という内容の記事を書きました。
学歴社会の中を生き抜いてきた
今までの世代とは
違う社会を生きていかねばならない
今の子供たち・・・
「勉強する意味」を根本的に問い直す必要があります。
ただ
「学歴」が
意味を成さないわけではありません。
ここに
もう一つの考え方 があります。
人生を長いスパンで考えた場合
「学歴」というか
「難関大学」を目指す意義を考えてみたいと思います。
(続く)
2012年01月04日
魔法はひとつ
幼・小・中のお子様を持つ保護者の皆様!
「未来の塾長ブログ」の読者の皆様!
明けまして
おめでとうございます!
最近の大学は TVCM を打つんですね(^^;)
魔法はひとつ
努力だけ
by 神戸女子大学(TVCMクリスマスバージョン)
うーん・・・
その通り!
小手先のテクニックよりまずはそこ!
勉強においても
当たり前のことを忘れては
真の学力は付きません。
でも意外と「なおざり」にされているんです。
やっぱり最後は
やった(努力した)者には勝てません。